築地さらしなの里は、明治32年より4代にわたり守りぬき、工夫を重ねた自慢の味をご提供する、日本そば店です。
明治32年、築地さらしなの里は「麻布永坂更科支店布屋善次郎」という名で、赤塚善次郎によって開業されました。麻布永坂「更科」本店にて15年の修行の後、善次郎23歳のとき、「更科」初の支店として、深川にて「築地さらしなの里」の歴史をスタートさせたことになります。善次郎は負けず嫌いの職人で、赤塚善次郎の名跡と、築地さらしなの里は、第二次世界大戦の混乱、廃業をも乗り越え、120年の歴史を歩み、現代に引き継がれることになります。
開店当時は日清、日露戦争のさなかであり、軍需景気のもと経営は軌道にのり、明治45年、都内有数の繁華街として栄えていた、牛込神楽坂への移転を果たし、名声をあげていきました。
善次郎は昭和14年に、大東京蕎麦商組合(現・東京都麺類協同組合)の組長も務めましたが、昭和16年、65歳の時に病に倒れ、死去しました。
善次郎の跡を継いだのは、婿養子になっていた正治でした。しかし当時日本は、戦時体制下であり、正治も昭和19年に出征。店は強制疎開で閉鎖されました。
その後、正治は復員したものの、神楽坂でのそば屋の営業再開は難しい状況にあり、戦前名をあげた牛込更科は廃業し、実家の青果業を営んでました。一方で、正治は善次郎同様、そばへの思いは厚く、廃業してしまったことを悔やんでいたことから、お世話になったそば屋との交流は途絶えさせることなく、現在の築地さらしなの里の基盤を支えてくれる存在になりました。「築地さらしなの里」という店名も、正治が名付け親です。
昭和42年、そば屋を再開したのは、正治の息子、三代目赤塚善次郎である、昭二でした。場所は築地で、初代善次郎の母まきが譲り受けていた土地の替え地だったそう。疎開先から戻った後、長屋の一部を改造し、20席ほどの店として開店しました。3年後には50席の規模に拡大し、52年には店を新築。また、当時の売り上げの多くを占めていた出前を廃止してまでも、そばの質にこだわり、手打に完全移行しました。
平成に入ると、自家製粉を導入。平成15年には築地にほど近い場所に移転し、昭二の長男、滋行が4代目店主となりました。現在は、先代から受け継いだ120年の伝統を丁寧に守り抜き、さらに時代に合わせた工夫を施しながら、お客様に喜んでいただける美味しいそばをご提供できるよう、日々邁進しております。
オンラインショップを通して、東京築地から全国のお客様の食卓にささやかな喜びをお届けできることを心より願っています。
今後とも、ご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。
